「またパパが変なもの買ってきた」から始まった、娘とガンプラの日々。

娘とガンプラを作った日

こんにちは、ミウラワークの三浦です。
今日は、少しだけプライベートなお話を。

最近、娘と一緒にガンプラを作る機会がありました。
きっかけは、ふと自分の子供時代を思い出したことです。

あの頃、ガンプラに夢中だった自分。
その楽しさを、今度は娘にも体験させてみたい――
そんな気持ちが自然と湧き上がってきました。

ガンダムをよく知らない世代

とはいえ、娘はガンダムに詳しいわけではありません。

私たち世代が知る初代ガンダムやZガンダム、
アムロやシャアの物語にも、当然ながら触れていない。

娘が少しだけガンダムに触れたのは、
最近放送された『水星の魔女』から。
しかも、ほんの入り口に立ったばかりといったところです。

だから娘にとってガンプラは、
「知ってるロボットを作る」というより、
「なんとなくロボットっぽい何かを組み立てる」
そんな感覚だったと思います。

作ったのはエアリアルだった

今回、娘と一緒に組み立てたのは、
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の主役機――エアリアルでした。

実はこれも、ちょっとした偶然が重なっています。

当時はコロナ禍の真っ只中。
物流が止まり、ガンプラ自体が品薄で、
どこの模型店に行っても棚はほとんど空っぽで転売という異常な時代でした。

そんな中、たまたま立ち寄ったヨドバシカメラで、
「エアリアル?」
偶然で見つけたガンプラでした。

ガンプラも、時代とともに進化していた

もちろん、今どきのガンプラが
昔と比べ物にならないくらい進化しているのは、私も知っています。

ランナーからパーツを外して、
パチッとはめるだけで、ほとんど完成する。
接着剤もいらない。指先まで自由に動く。

久しぶりに娘と一緒に作業してみて、
「やっぱりすごいな」と改めて実感しました。

昔は、ランナーからパーツを切り離して、
ボンドを塗って、乾くまでじっと押さえて待って、
ようやく組み上がったと思ったら、
ゲンコツをあわせて腕を合わせて胴体をで頭部をみたいな・・・なんか不格好なもの。

しかも、そこからさらに色を塗らないと完成度が低いんです。

そうなんですよ。
あの頃のガンプラって、
ほとんど真っ白な成型色に、
ほんの少し赤、ほんの少し黄色が混ざってるだけ。
アニメで見たかっこいいガンダムには、ほど遠い見た目でした。

「これが…ガンダムだっけ…?」
そんな疑問を抱えながら、必死で色を塗ってごまかしていました。

しかも、塗料も簡単には手に入りませんでした。

小さな瓶に入った塗料を一個100円で買う。
でも、お小遣いには限りがある。
赤を選べば、青はあきらめる。
白を買えば、黄色は我慢する。
そんな小さな選択を重ねながら、
一台のガンプラをどうにか仕上げていました。

さらに、可動域も今とは比べ物になりませんでした。

腕や足はほとんど動かない。
少し無理に曲げようものなら、関節が外れ、
最悪の場合、パーツごとバラバラに崩壊してしまう。

リカちゃんごっこをしても、リカちゃん人形は崩壊しませんが、
ガンダムごっこをしようものなら、
たちまちガンダムはバラバラになってしまう――

そんな、壊れることと隣り合わせの、
不安定で儚い存在だったんです。

それでも、直して、また遊んで、また壊れて。
子供ながらに、一台のガンプラをどうにか大切に扱い続けた。
今思えば、あれも一つの「ものづくりの原点」だったのかもしれません。

ましてや、女の子がガンプラ?

こうして振り返ると、
ガンプラに手を伸ばすこと自体、昔なら「男の子の遊び」でした。

もちろん今は、
男の子、女の子と言っている時代ではありません。
趣味に性別の垣根なんて、ない方がいい。

それでもなお、
娘が小さな手でエアリアルのパーツを一生懸命に組み立てる姿には、
どこか特別な気持ちになる自分がいました。

最初は、戸惑いながら

ガンプラの箱を広げたとき、
娘はやや引き気味でした。

「またパパが変なおもちゃ買ってきた」

そんな空気が、手に取るように伝わってきました。

それでも私は、
「まず一緒にやってみよう」となかばむりやり、
ニッパーの使い方や、ランナーからパーツを切り離すコツを教えました。

「ゲートはちょっと残して切るときれいに仕上がるよ」
そんなアドバイスを添えながら、
押し付けにならないように、ゆっくり進めました。

途中、娘がパーツを間違えてはめてしまう場面もありました。

ここでひと苦労です。

今どきのガンプラは、パーツ同士の精度がものすごく高い。
一度パチッとはめてしまうと、
昔みたいに簡単には外れない。

無理に引っ張るとパーツを壊してしまうリスクもある。

だからデザインカッターを使って、
隙間に刃をそっと差し込んで、ぐりぐりと少しずつこじ開けながら外す。
そんな、細かい神経を使う作業が必要でした。

作るだけじゃない、こういうトラブルへの対処まで含めて、
今どきのガンプラは「大人の趣味」としても成り立っているんだなと、
改めて実感しました。

投げ出さずに、付き合ってくれた

ふと頭をよぎったのは、初代ガンダムのワンシーン。

ティム・レイがアムロに、
「ガンダムにこれを取り付けろ」と古い部品を渡す。
アムロが「こんな古い部品を!」と怒って投げ捨ててしまった、あの場面。

娘も、
「なんでこんなわけわからないことやらされるんだ」
って思うんじゃないかと、少しだけ不安もありました。

でも、るなは投げ出さなかった。

意味がわからなくても、
黙々とパーツを切り、はめて、作業を続けてくれました。

それだけで、本当に良かった。

「今日は腕と足ができたね」と声をかけた

いくつかパーツが組み上がったとき、
私は娘にこう声をかけました。

「今日は腕と足ができたね。」

小さな成果を私から言葉にして伝えました。

娘は静かにうなずいただけでしたが、
そのうなずきの中に、小さな「できた!」の芽が確かに育っていました。

翌日、変わった景色

翌日、仕事から帰ると、
玄関でエアリアルの箱を抱えた娘が待っていました。

「パパ、ガンプラ作っていい?」

その一言に、心の中で静かにガッツポーズ。

テーブルには、昨日の続きを待っているかのように
説明書と工具がきちんと並べられていました。

「もっと作ってみたい」という気持ちが、
確かに育ち始めているのを感じました。

教えるって、こういうことかもしれない

今回のガンプラ作りで、改めて思ったこと。

教えるというのは、
すぐに成果を求めることじゃない。
わからなくても、間違えても、
一緒に小さな達成感を積み重ねていくこと。

娘が心から「楽しい!」と感じられる日が来るかはわかりません。
でも、その日が来るまで、焦らずに、寄り添っていきたいと思っています。

そして、
ティム・レイみたいにはなりたくない。
あの人は宇宙病にかかって頭がおかしくなってしまったのかも知れませんが。

ただ命令して押し付けるのではなく、
一緒に楽しみながら、
そっと手を差し伸べられる大人でありたい。
心からそう思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。