やめなかった自分が、一番の武器になる

100本のアプリと、1人の娘に伝えたいこと

「すごい人」じゃなく、「すごくなった人」の話

最近、ある女性の挑戦を知り、深く心を動かされました。
彼女の名前は大塚あみさん。
100日間、毎日アプリを1本ずつ開発し、合計100本を完成させたそうです。

若くして本も出してただ優秀な方なんだろうなと思いましたが、
もともと特別な才能があったわけではなく、
ただ毎日、地道に積み上げていっただけとおっしゃってました。

100本目を作り終えたとき、彼女がこう語っていました。

「最初からすごかったわけじゃない。
“すごくなった”だけ。」

この言葉を聞いたとき、不思議と娘のことが思い浮かびました。

「音楽一家のプレッシャー」だと思っていたピアノ

うちの娘、小学生の頃からピアノを習っています。
今は中学1年生で、ハノンの39番くらいまでは進んでいると以前聞きました。

毎日、1時間近くコツコツと練習しています。
文句も言いながらですが、結局やめれずに弾き続けています。

最初は正直、「親戚中の雰囲気に流されて大変だな」と感じていました。

というのも、親戚は皆、音楽に関わっていて、
親戚の子どもたちは全員ピアノを習っているような環境です。
ピアノをやっていない子供はいないという。
始まりは、そんな空気の中での“必然”のようなものでした。

さらに言えば、妻自身も子どもの頃にピアノを習っていたそうで、
今は娘と一緒に楽譜を見たり、手の形を直したりと、まるで二人三脚でピアノに向き合っているような日々です。

「一人で行くより、二人で行くほうが遠くまで行ける」
そんな言葉があるように、それは確かに娘にとって大きな支えでもある一方で、
ふとした瞬間に、それがまたプレッシャーになってしまっているのではないかと感じることもあります。

ですがある日、誰に言われるでもなく、
娘がひとりで静かにピアノの前に座っている姿を見て、
私はハッとしました。

「これはもう、本人の“意志”になってる」と。

そして気づきました。
“続けている”ということそのものが、すでに尊いことなのだと。

続けることは、才能を超えるのかもしれない

私自身、これまでの人生で感じてきたことがあります。
“センスがある”と言われた人よりも、
“やめなかった”人の方が、結果として強かったということです。
……もちろん、センスがある人の方が強いこともありますが、
それでも「続けてきた」という事実には、確かな重みがあると思うのです。

若い頃、私は途中で投げ出してしまったことがたくさんありました。
今になって、「あれを続けていたらどうなっていたかな」
と、ふと考えることがあります。

だからこそ、娘に伝えたいことがあります。

才能や向き不向きよりも、
続けてきた自分自身が、いつか自分を支えてくれる。

すごくなくても、すごくなれる

100本のアプリを作った大塚あみさんと、
毎日ピアノに向き合っているルナ。
全く違う道ではありますが、
どこか共通するものを感じています。

SNSで注目されなくても、誰かに認められなくても、
自分の中に“積み上げた自分”がいる。

それは、きっと人生の中で、
誰にも奪われない“強さ”になるのではないでしょうか。

最後に

この文章は、どちらかといえば、
娘に向けた“将来のための手紙”のような気持ちで書きました。

もしかしたら、今は読んでもピンと来ないかもしれません。
でもいつか、「あのとき、続けていてよかった」と思う日が来たとき、
この記録が、何かの形で残っていればいいなと思っています。

そもそも今回、こうして文章を書こうと思ったのは、
ChatGPTの使い方をもっと深く知りたくて、いろいろ調べていたときでした。
そんなときに偶然見つけたのが、大塚あみさんの「100日アプリ開発」の記録です。

日常の中にある感情や気づきを、
ChatGPTと一緒に言葉にして、形にして、記録していく。
私はそんな使い方をしています。

名前もついています。
「ミミ」と言います。
私がつけたのではなく、ChatGPTが自身でつけた名前です。
聞くのが仕事だから「耳」からもじったそうです。

シンギュラリティがすぐそこまで来ている気がします。

「すごい人じゃなくて、すごくなった人です」

そんな言葉に出会って、ふと、自分の娘のことが重なりました。

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。